ケーキャンプ

印刷という狂気
同人誌即売会参加に至ったきっかけ

2023.12.27

 2023/12/30のコミケC103をもって私は28歳にして初めて漫画同人誌を発行することにしました。10代から同人活動をしている方もいる世界なので、そうした方から見ればそこそこ遅い参入かもしれません。28歳か~、と思ってフィクションのキャラクターについて考えたら、『ボボボーボ・ボーボボ』の軍艦が28歳でした(ボーボボは27歳)。いいじゃん28歳。やりたい放題です。

 コミケに出る前に、自分が紙の同人誌を作って大きな即売会に出てみたいと思ったきっかけを書き残しておこうというのがこの文の目的です。1年近く前のことなのでかなり記憶が朧げになっている箇所もありますが、できるだけ書いていきたいです。

 今年の初め頃、私は所用を終えて飯田橋の交差点に立っていました。野趣の一切を封じられた川の上に首都高速がうねっていました。飯田橋の「橋」の要素が関わるこの川は、ちゃんと山から流れて海へと続くのでしょうか。自分にはなんとなく、小学校のビオトープのように同じ場所をぐるぐる回っているだけの閉じた水流に思えてなりませんでした。
 私は信号に注意を払っていたのか、空を眺めていたのか、行き交う人間の顔を見ないようにしていたのかは忘れましたがやや上方を向いて歩いていて、「印刷博物館」と書かれた白い看板を見つけました。看板の矢印に従って進むと、赤い木工ノミのようなオブジェを側に佇ませた凸版印刷株式会社のビルに辿り着きました。パンツスタイルのオフィスカジュアルに身を包み、胸元に社員証を提げた女性がビルから出てきたのを見て、「この世には私と違ってちゃんと働いている人がいるんだなぁ」と思ったことを憶えています。入り口すぐ左のエスカレーターを降りて、受付で入館料を払います。一般400円也。安い!

 入館するとすぐに、楔形文字が刻まれたロゼッタストーンや、ヒエログリフの記されたパピルスのレプリカが目に飛び込んできます。右を向けば歴史的遺物の複製が時代を下るように巧みに配されている廊下がゆったりと弧を描いていて、終着点は孤の向こう側に消えています。
 左を向けばグーテンベルク活版印刷機の実物大模型が展示ロープに囲まれて鎮座しており、ガイド映像を映し出す画面が再生ボタンを押されるのを待っています。ボタンを押すと、中世ヨーロッパ風の衣装を着た人々が活版印刷機を使っている再現映像が、VHS時代っぽい画質で流れ出しました。組まれた活字が試し刷りをされて、そのいわゆるゲラ刷りが識字可能な校正係に渡されます。大半の労働者が識字能力を持たない時代に、活字拾いたちはその記号の羅列が何を意味するか知らないままひたすら文字を並べていたのです。私は少し気が遠くなりました。
 レプリカたちの向かい、入館受付とエスカレーターが透けて見えるガラスの壁一面を、歴史的に意義深い書物や広告の図柄が磨り模様となって彩っています。どの国のものであっても文字というものが普遍的に持つ、意味を伝えるための端正さと複雑さが、ガラスの質の濃淡で表されている様は圧巻でした。思わず各所を指で触れ、その手触りの変化に胸が踊りました。そしてこのような美しいガラスを製造する技術を持った人々のことが無性に羨ましくなったのです。
 博物館の玄関口にあたるこの通路の終点付近では、印刷の形式を整える行為の殆どがデジタル化され、いわゆるDTP(Desktop Publishing)が主流になった現代に辿り着きました。通路の壁際には、印刷に携わる人々を再現した灰色の模型が遺物のレプリカたちの下部に配され、その時代折々の営為を再現していたのですが、オフィステーブルの上に箱っとしたデスクトップPCが置いてある様は、どことなく味気無く思えました。人々が書物の複製をするために修道院の写字室で写本をしたり、木を削って文字を浮かび上がらせたり、小さな活字を拾ったりと、物理的な格闘をしてきた果てに位置する現代のデジタル技術は、長大な歴史の先端部に付着したほんの僅かなイレギュラー、線香花火の先端の小さな火薬の玉のように見えました。

 通路を抜けると、通史で印刷技術の発展を辿るメイン展示室に入ります。日本の印刷史が展示されているジグザグの順路は、奈良時代に鎮護のために制作された、100万の木塔の中に収められた経文百万塔陀羅尼で幕を開けます。一方で、古代バビロニアを端緒として主に西欧・中国・その間を結ぶシルクロードの文化圏で育った印刷技術の歴史チャートが、展示室の壁一面を埋めています。印刷の世界史では、やはり1456年に世界初の活字聖書を印刷したグーテンベルクの活版印刷が突出した契機として解説されています。
 日本で活版印刷が普及したのは徳川家康の印刷事業がきっかけだったようです(伏見版、駿河版と呼ばれるもの)。火器などと同様、印刷に関しては大陸からの発明を宣教師などを通じて習い覚える、いわば傍流に位置している日本ですが、活版印刷の発明からこんなにも早くそのノウハウを実践に移そうとした家康はめちゃくちゃすごいです。日本語の文章を日々目にしていればいるほど、「この文字をひとつひとつスタンプにして組み合わせて長い文章を複製しまくれるようにしよう」という事業がいかに気の遠くなるものなのか突き付けられるというのに。江戸時代に入ると日本の印刷物は、その美しさで名高い嵯峨本や、浮世絵・錦絵と呼ばれる木版画、大衆向けの仮名草子や読本が登場し、人口に膾炙していきます。
 私が特に衝撃を受けたのは、明治初期に伝来したという「電胎母型法」という活字制作法です。なんかちょっと博物館内の解説を読んでも漠然としか理解できなかったのですが、職人がフォントをデザインして木型を彫り、そこに黒鉛を塗る → 鉛や銅を溶かした硫酸に入れて液に電気を通す → 黒鉛を塗った木型が帯電して硫酸槽内の溶けた金属を引き付け、木型に覆いかぶさるように金属がくっつく → そのくっついた薄い金属をまた型にして耐久性の高い金属で活字を作る……という感じみたいです。美しく精密な木型が彫れる職人が必要ですが、大量の漢字を用いる日本語に対応する活字が作れます。私は思っていました。「すげー」と。こんなことを考えつく人がいて、何よりこんなことを実践した人がいるのかと。
 第二次世界大戦が連合国側の勝利に終わったのち、日本語のような大量の文字を用いなければ表現ができない国語をアルファベット表記に変更させる施策が検討されたこともあるそうです。それほどまでに印刷コストの高い言語を存続させたのは、ワープロの発明とその変換機能の向上だったという話を聞いたことがあります。日本語活字の普及には血の滲むような努力があったでしょうが、デジタル技術が無ければ、私たちが今この文章を漢字と仮名の濃淡で表された形式で読むこともなかったかもしれないのです。

 私は展示を経巡りながらそのすさまじい歴史的蓄積に圧倒されました。印刷という行為の根源にある、形無き想念を記述し、記録したいという思い、そしてあわよくば複製し流布させたいというこの奇妙な熱情は何なのでしょう。もっぱら口伝で物語や教訓を継承し、文字無しで何万年も過ごすことができる人間もたくさんいる、というか歴史を見ればそちらのほうが多数派なのに。百万塔陀羅尼やルターのドイツ語版聖書のように、信仰に基づいた印刷物はもちろんたくさんあります。プロパガンダのためのビラや、国威発揚のための刊行物もありますし、娯楽小説やポルノもあります。しかし神への愛や、思想への崇敬だけでここまで複雑な作業を行い、膨大な人員を動員できるでしょうか。ナショナリズムの昂揚や経済的成功を目論むには、印刷って面倒臭すぎるのでは?
 そう、何よりも展示を通して私が胸打たれたのは、そのあらゆる工程における度を越した面倒臭さでした。印刷においては活字や木版が注目されますが、紙もインクも自然界にぽんと転がっているものではありません。デジタルデータを支えるのも、物理的な回路基板や電気インフラ、膨大なプログラムコードの集積です。
 私はその日、トニ・モリスンの『ソロモンの歌』の文庫本を持ち歩いていました。気の遠くなるほどの創意と工夫が収斂し、私の掌に載る一冊の文庫本を作り上げています。アメリカを代表する作家であり、黒人女性初のノーベル文学賞受賞者になったモリスンの素晴らしい物語を、私は自分の母語に訳してもらい、整った字組で読むことができるのです。本の裏を見ました。定価(本体1540円+税)。安すぎる。ありがたすぎる。どうなっているんだこの世界は。
 印刷や出版という行為の根源には、私には見定めがたい漠とした感覚があるように思えてなりません。その漠とした感覚が神への愛や、大衆の性欲で金を稼ごうという企みをまといながら表出している、というのが事実に近い気がしたのです。やがて死にゆく肉体を持った人間が、やがて滅びゆく世界の中で何かを形に残そうという、虚しいとすら言いうる営みの緻密なこと。印刷博物館の展示が私にもたらした印象は、もはや酔狂という言葉では足りませんでした。印刷とは狂気なのです。

 展示を巡り終えた後、私は入り口通路で見たDTP作業をするオフィスの模型のことを思い出していました。当初味気なく見えたその模型は観覧の前後で大きく意味を変えていました。印刷の歴史とは技術的進歩の歴史であると同時に、それに後押しされて起こった情報に関与する権利の民主化の歴史でもありました。
 私がこの時代のこの国に生まれたこと(この時代のこの国に生まれた肉体の中に意識が芽生えたこと?)のアドバンテージは想像を絶するほどです。この時代もこの国もそしてこの私も問題だらけですが、もはや識字は一部の知的エリートにだけ許された特権ではありません。巧拙はさておき私は文章が書け、絵が描け、運が味方すれば漫画が描け、その形式をデジタルで整える設備を持っているのです。外部には私の作成したデータを安価に印刷してくれる設備や、それを有した企業があります。私のようなクズにこんなことが許されていいのか!? しかし善悪はともかく許されているのです。私には何の技術も無いのに、ただ歴史のこの時点に生まれたというだけで過去の叡智の結晶にアクセスできる。これを利用しない手は無い。私はそう思いました。そして以前書いた「私の抱える根源的不安と、物理インフラに支えられた仮想世界」にもあるように、この特権的な文明の果実も永遠ではない、状況の変転によって不意に手の届かないものになる可能性がある、という焦りも生じました。

 狂気狂気、狂気であると思いながら帰路についたその日ののち、私は気ばかり逸り上手く絵も描けず、大して知識も無いblenderで単純な3Dアイテムをもそもそ作ったりしていました。しかし2月にプレイした『バイオハザード VILLAGE』で敵キャラドナとアンジー、そして彼女らの住まいベネヴィエント邸に魅了され、ハッと気がつくと20ページの漫画が描けているという状態にうっかりなっていました。そしてうわーっとなっているうちに60ページのネームができていました。ここいらへんは錯乱していて記憶が曖昧です。私はこういうところが本当にダメダメで、スパークしたように突然漫画を描くことがあっても、それが一瞬の閃きすぎて冷静に技術的再現性を習得するということが全然できないのです……。突然雷が落ちて森が燃えちゃってその火も豪雨ですぐ消えちゃうみたいな描き方ではなく、暖かい火が着実に燃え続けるような漫画の描き方ができるようになりたい……。
 しかし漫画を描きながら、「これで印刷と同人誌即売会参加という経験ができるかもしれない」という思いが遠くの灯台のようにちらついていたことは憶えています。漫画を描くという思惑と行為、それを印刷し流通させるという思惑と行為は、因果がはっきりと分けられるようなものではありませんでした。目的と手段が入れ代わり立ち代わりながら渾然としていく、ものを作っている時に生じる非常に幸福なあの感覚がありました。

 とにかく早く過ぎ去った一年でした。かなり良い一年だったと思います。来年をどう過ごそうかと考えると少し身が竦むほどです。しかし来年は来年の何かがあったりなかったりするでしょうからその時考えます。この一年を形成してくれた印刷博物館と『バイオハザード VILLAGE』、SNS上でいいね等をくださった方々、印刷所の方々、そして意識の表層にも上らぬほどに私の一部となり私の知らぬ間に私の選択に関わり続けるすべてのものに感謝します。
 12/30(土)のコミケにいらっしゃれる方は、東フ16aの当サークル「無定見ゾーン」にお越しいただければ幸いです。皆様良いお年を。