ケーキャンプ

ゲーム『INDIKA』をやったよ

2024.05.05

【注意!】作品のネタバレが含まれています



 『INDIKA』をクリアしてエンドロールが流れ始めた時、私は「えっ、そんな、淋しい。淋しいよ!!」と叫んだ。淋しい淋しい、もっとこの二人の話が見たいよ! と思いながらスラブ系の姓の多く並ぶエンドロールを呆然と眺めていた。制作会社であるOdd Mater Games社はロシアからカザフスタンに移転しつつゲームを作り続けたそうで、その苦労と誠実さを思うと敬意によって心が少し落ち着いた。

 『INDIKA』は長いゲームではなかった。あまりにも世界観が好きだったため、私には短すぎると感じた。5/2の夜11時に日本でリリースされたゲームを、私は日付が変わる頃にやり始め、途中で少し休憩を挟んだ(作中に出ている看板や広告などのスクショを見ながら、オンラインのロシア語辞書を引いて意味を読み取ろうとしたりした)ものの、5/3の午前中には私は淋しい淋しいと言っていた。『INDIKA』は紛れもなく面白いゲームだった。だからこんなに淋しいのだ!! 続きのお話を知りたかった。離れがたい。続編を作ってほしい!! むしろあれか!? 私が続きを漫画で描けば良いのか!!? そう思って私は数ページ分ネームを描いたところで寝落ちした。

 夢の中で緑色のアロハシャツを着たおじさんが「マヨネーズアーティスト」を名乗りつつ皿の上にマヨとケチャップで下手な絵を描くシーンを経て、『INDIKA』のオープニングが始まった。画面内を落下していくインディカが最後の黄金のマークを取ると、彼女は4コマ漫画の最上部の枠線をぶち破ってひとコマ目にぺしゃっと転がった。彼女が起き上がり、漫画の続きが描かれようとしていた。『INDIKA』はあれで終わりではなかったのだ!! ゲーム全体にギミックが仕込まれていて、2周目に別の物語があるのだ!! 私はその喜びで散り散りになりそうになり、そして……目が覚めた。
 4時間ほどしか眠っていなかった。月経出血で多量の水分を失っていた私は、夢の中の高揚感から脱水気味の重い身体に引き戻された。日暮れ時の薄暗い部屋でスポドリを飲みながら、私は夢の示した可能性を確認しなくてはと思った。しかし心身が随意に動かず、1時間かけてコップ2杯分のスポドリを飲むと、歯を磨いて布団に戻った。

 夢を見ない、あるいは夢を忘れた2度目の睡眠を経て冴え冴えとした感覚が戻ってきたので、5/4にゲームの2周目をした。2周目を終えたら隠されている実績トロフィーの解除条件を確認しようと決めた。
 ポイントを集める行為を意識的に避けながら進めていった。それで何かが変わることを期待していた。私は『INDIKA』の発売前デモを2周していたので、場面によっては4回目のプレイになったが、4回目でもキャラクターの話しぶりはチャーミングだった。決して長くないゲームの中で、なぜこんなにも主人公インディカと旅の道連れイリヤに愛着が湧くのか不思議だった。2周目のプレイが進んでいくにつれ、このゲームに別エンディングが無いことがわかってきた。それは絶望的で、切実な感覚だった。私が夢で見たイメージは所詮夢だったのだ。

 物語終盤、官憲に対して切り離された腕を投げたシーンで、直後にイリヤがインディカの背を押していることに、2周目でやっと気付いた。イリヤは神の御業の不在証明と化した腕と同時に、自分とともに「道」を歩んでいると思っていた修道女を、逃走のための囮として使ったのだ。ミルキひとりに罪を押し付けたかつてのインディカのように。
 それでも私は質屋の前でイリヤを再び見た時、彼を心底憎む気持ちにはなれなかった。インディカが、当事者として苦しんだインディカがどう思っているかはわからない。しかし私は、彼が捕まっておらず、死んでもいないことが嬉しかった。獄吏のことは殺したいほど憎かったが、獄吏にインディカを引き渡したイリヤへの同情と愛着は捨てがたかった。この許しの正体について、いくつかそれらしい理由を思いつくことはできるが、根本の部分ではわからない。今も考えている。

 2周目を始める前に決めていた通り、2度目のエンドロールを見終えた私はSteamのトロフィー実績を確認した。やはり別エンディングは存在しなかった。やりきれなさとともに、なにか腹が据わるような感覚が満ちてきた。これがこの作品なのだ、というゲームと制作者からの気迫を感じた。そしてますますゲームの物語の続きを見たい気持ちが強烈に押し寄せてきた。

 今日5/5の未明、流しに溜まった皿を洗いながら思った。『INDIKA』の終わり方って『羅生門』なのでは? 『羅生門』の最後の一文、「下人の行方は、誰も知らない」を私は思い出していた。
 「下人の行方は、誰も知らない」の一文は初出から書き換えられた箇所で、私はこの変更後の一文が好きだ。修羅の自由とでも言うようなものを感じる。僅かな時間の中で目まぐるしく善悪の翻りを経た下人が、「誰も知らない」どこかへ消えていく。その行く末が闇に紛れて不可視になるのが『羅生門』の美しさだ。『INDIKA』の終わり方の凄絶さは、『羅生門』と通じている。
 だけど、「だけど!」と今の私には思わずにはいられない。インディカとイリヤの物語の続きが見たい! 運命のように出会った男が自分を押しのけて逃げ、再会したときには泥酔して小便を垂らしている。これはむしろ始まりではないか? ちょっと良いなと思っていた相手がズボンを濡らしているところを目撃してやっと人間関係はスタートラインに差し掛かるのでは? あらゆるメッキが剥がれても、インディカもイリヤも生きていて、追われる身ではあっても獄には繋がれていない。これはすごいことだ。ふたりがまだ生きている、ボロボロでも生きているという力強さのことを思うと、私は圧倒され、気概のようなものが湧いてくる。
 ゲームのラストで語りが終わることに、研いだ刃物のような美意識があることはわかっている。でもふたりはまだ生きているんだ。歯の浮くようなハッピーエンドが見たいわけじゃない。私はあの混乱した世界で、再びふたりが生き始めるところを見たい。その思いは紛れもなく祈りである。神はいなくとも、祈りはあるのだ。